占星術師は世界平和の夢を見るのか? (みえない大学新聞の思想)

占星術による世直しは可能なのか?みえない大学新聞!で追いかけてきた見果てぬ夢を、思考し、イマジンする。ルシエルの内観ノート。

ウエサク満月に寄せて  :星の道 占星術を通じての人類の進化と世界平和運動 5月10日 午後7時7分

我は本当は何をしたいのか?

宇宙と人間は本来一つのものの表裏一体の表現である。

そのことを哲学的観念ばかりではなく、日常的情念を通じて体験している。

しかし、多くの人はそれを知らない。

占星術という叡智が社会の知恵から失われたからだ。

占星術は、個人の幸福や嘆きを図る道具としてしか見られなくなってしまった。

しかし、それは占星術本来のあり方ではない。

占星術は、個人のこの小さな日常が、常に、宇宙全体、そして、その間の様々な階層と共鳴しあって、存在していることを証明する知恵であった。

星々の配置という客観的な科学と、「今ここ」の私のあり方、その密接な関係性を証明したい。

一人でも多くの人に伝えていきたい。

それも、占いという枠にとどまらず、社会、人類という宇宙と人間の間にある様々な階層に対して憂慮する様々な人々にその知識を届けたい。

その方法として、一般的な占い師とは違うアプローチとして、社会的事象について語るというスタンスを取っていた。

しかし、その姿勢が半端であったというよりも、自分自身の救世主コンプレックスを恥じるがために、本来もっとも語りたいことを迂回して、表現していたために、十分に伝わるべき人たちに伝わらなかったのだと今、理解できた。

あるところで「あなたはなぜ、占星術師になったのか?」と問われた。

そのことを本質的に語るならば、私は「世界を救いたかった、その方法として占星術師という生き方を選んだ」といわざるをえない。

しかし、世界とは何か、抽象的に、膨大な人や生命がすむ世界というものは果たして実在するのか?

よしんば実在するとしても、それは私が、これが世界だと漠然と感じているものと同じものではないだろう。

リアルに私が生きられる世界とは、私の人生そのものに他ならない。

つまり、世界を救うとは私の人生を救うということである。

神は汝自らを助くる者を助く。

というが、私は私を助けることによって、世界を助ける。その道しかない。

私は世界が苦しむのを見て苦しむ。

そういう私があるから、私は世界を救おうと思うのである。

しかし、その世界は私の五感、感受性、知性がキャッチした世界であって、世界全体の全てではあり得ない。

であるなら、小さな世界に閉じこもり、何も感じないようにしていれば、苦しみはないのか?

否、小さな世界に閉じこもることこそが苦しみに他ならない。何も感じないことが退屈という死に至る病であるに他ならない。

宇宙はビックバン以来、膨張しているといわれている。同じように、私も、オギャーと生まれてから膨張を続けている。

広がっていくことが生命の意味、宇宙の意味なのだ。

であるとすれば、ほんとうの幸せはどこにあるのだ、ジョパンニ。

世界全体が幸福にならばければ、個人の幸福はあり得ない。

その菩薩の請願はとても思いけれど、その真偽とは別に、人間の魂をより広い世界に向かわせる誘惑。

宇宙そのものの拡がろうとする意思を表している。

私が、占星術を通じて世界を救おうという時に、その敵となるものがあるとすれば、宇宙の拡がろうとする力に逆らうものを排除すること。

個人の幸せだけを考えていればいいのだという考え方が宇宙本来のあり方とかけ離れているということを繰り返し語ること。

個人と個人の集合体としての社会を宇宙から閉ざし、機械的なシステムの歯車として消耗させていくあらゆる仕組みを明らかにしていくこと。

そして、ほんとうの宇宙が持っている美しさと調和、本来の人間が持ち得る宇宙との共鳴力、そして、喜びに満ちた創造力。生き生きと今に生きること。

それを叡智として明らかにし続けていくこと。

その営みを通じて、世界と人類が平和の元に深みを増していくこと。

それをサポートしていきたい。

占星術を通じての世界平和」

その不可能の可能性を追求し続けよう。

その生き方を

「星の道 占星術を通じての人類の進化と世界平和運動

と名付けたい。

 

                 2017年5月10日 午後7時7分

 

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